2021年の12月29日から2022年5月11日まで木星が魚座に滞在します。
すでに2021年5月14日から7月28日までの二か月強、木星は魚座に滞在していました。
それが本格的に魚座にやってくるのですが、意外と速く一気に駆け抜けて、5月には牡羊座へ行ってしまうんですね。
木星の公転周期は12年で、通常はひとつの星座に入るとおよそ1年間滞在します。
5月以降は秋の10月末~12月後半まで逆行して魚座に戻ってきますが、それを足しても六か月ちょっと。2021年の初夏の先行滞在の二か月分を足しても、八か月余りの木星魚座シーズンといえます。
木星は神々の王ゼウスを元型とする惑星で、占星術の世界においては、あらゆる物事を成長させて、拡大する方向へと推し進めていきます。人々の心の中にある憧れの「天の国」をめざしていくこと、そのものに理想とロマンとを抱かせるかもしれません。
この広大な世界に対する信頼と、人智を超えてどうすることもできない大自然への畏怖の念を起こさせると同時に、その恩寵にひらいていくことも助けてくれます。
宇宙や大自然がもたらす恩寵というのは、木星の象徴するキーワードのひとつ。木星の元型が私たちに抱かせる「きっと、どうにかなるだろう」という楽観性は、この恩寵への信頼からきているものだといえるでしょう。
この有難みや畏怖の念を忘れてしまうと、ただの他人任せ、傲慢なビッグマウスにもなってしまうのが木星のネガティブな極にあります。相手に対する信頼が根っこにあるからこそ「任せても大丈夫」なわけですね。
12星座にはそれぞれの星座を支配する惑星がありますが、魚座の支配星は木星と海王星です。伝統的には木星が魚座を支配していましたが、海王星が発見されたのち、これもあとから加わったのですね。
なので木星が魚座に入るということは、みずから支配するホームに還るということもできます。占星術用語では「ドミサイル」という「住居にいる」配置です。
そして魚座には2012年からもうひとつの支配星である海王星もまた、長期滞在している最中です。2022年の前半には、このふたつの木星と海王星という支配星が魚座でぴったりと揃うのですね。
ちなみにばっちりと重なるエックスデーは4月12日。木星と海王星は13年に1度、ぴったりと重なる会合周期があるのですが、これがホームタウンの魚座で起こるわけです。
なんとなく、めでたいような、楽しい気分になりますね。「故郷に大物ふたりが帰ってきたぞ!!」みたいなね。
4月より前から、どことなく、このふたつの星が揃って働くような雰囲気が満ちてくるのではないかと思います。
木星の元型は神々の王ゼウスであると書きましたが、海王星のほうは海神ポセイドンです。このふたりは兄弟で、さらに長兄にハデスという冥府の王がいて、ギリシャ神話界のトップ 3なんですね。
彼らは、人智ではどうにも制御することのできない大自然の最も強いものを象徴しています。
ポセイドンは海王神ですが、地上の王でもあります。ゼウスは神々の天界の王で、地上はポセイドンの領域なんですね。ポセイドンはトライデントと呼ばれる三叉の槍を持っていますが、これを振ることで嵐や津波を起こしたり、地震を起こして大地を割って沈めたりすることができます。
ゼウスは真の姿が天を切り裂く雷で、天候を自在に操りますから、このふたりであらゆる天変地異を引き起こすことができるわけですね。このふたりが共に働くということは、ある種の危険なランデブーでもあります。
いま世界を揺るがしているウイルスというのは、自然の脅威の一部でもあるため、海王星に属すると見なすことができます。目に見えず、いつどのように広がっていくのかわからないという点において、まさしく自然災害ですね。
そして大自然の脅威の前には、今も昔も人間は畏怖の念と共にひれ伏すしかなく、そこに人智を超えた神の存在を見出し、少しでも彼らに願いが届くようにと祈りを捧げることで、どうしようもできない運命を明け渡してきました。
この「明け渡して、ゆだねる」というのが海王星のキーワード。木星の「恩寵への信頼」も、どちらも個人を超えた存在へのリスペクトであり、自分では制御できない運命を受け容れることだといえるかもしれません。
ふたつの惑星が揃うということは「そういう時期」でもあるということですね。人智では予測できないようなことが起こるかもしれない。天からしたら、人間の意志など、関係ありません。その気まぐれさに明け渡してゆだねて、天はまた恩寵をも与えるのだと信頼する。
魚座は最後の星座であり、新しい始まりに向けて、何かを終わらせていくことと、終わらせるために、あらゆる問題や隠されてきたもの、抑えこんできたこと、後回しにしてきたことが浮き彫りになることを象徴します。
それは死角であり、日頃は気づきにくい無意識の側面であり、忘れがちだけど私たちが住んでいる場所は厳しい自然の一部なのだということを思い出させるかもしれません。
このふたつの星がもたらすポジティブな極として、自身の中の大きな力がひらいていき、愛や思いやり、慈悲といった面が強化されるということがあるでしょう。
やってくるものがなんであれ、信頼して受け入れる力。畏怖の念を抱いて、明け渡す力が、内側へと向けられると、これまで見ないように、感じないようにしてきた、自身の内に秘められた、さまざまな感情やコンプレックスを受け入れて、時にはその痛みや苦しみを強烈に感じながらも、共にいることができるかもしれません。
それは自分の人生と向き合う力であり、そこから鬼が出てこようが、蛇が出てこようが、怖いけれど立ち去らずに、どうなっていくのか、見守る力ともいえます。
これが自分のみならず、家族や所属しているコミュニティ、地域や会社や国に対しても働くことで、どんな問題が出てきたとしても、それを受け入れて、運命を共にすることができるでしょう。そうすることで大きな浄化の作用があるかもしれません。
また、この個人を超えたところからもたらされる恩寵が、インスピレーションや直観、スピリチュアリティといったところからやってくると、これまでわからなかったことに対して、唐突な理解がふいにやってきたり、素晴らしいアートや創造性のセンスが光ったりするかもしれません。それらもまた信頼して、明け渡し、ゆだねることでやってくるのでしょう。
魚座という星座は、気分のアップダウンのなかでも、特に極端なものを象徴します。まるで天国にいるかのような多幸感から、宇宙でたったひとりに切り離されたかのような孤独感まで、ハイとローの落差が激しいのが特徴です。大半の場合は穏やかで、おおらかさと楽天性がありますが、年に数日は激しく荒れ狂います。
木星と海王星を通して、この魚座を体験することになりやすいので、このような気分のアップダウンを感じることが起こるでしょう。
「どうにかなるだろう」という楽観性の合間に、何かの拍子で悪い妄想のスイッチが入ってしまうと、そちらの気分に引っ張られやすいときでもあります。特に魚座や海王星は集合無意識と関係するので、メディアが創り出すムードや雰囲気に飲まれないように注意したいもの。
そのため、この星のネガティブな側面として、良いことも悪いことも、本当かどうかわからないことに引っ張られてしまうということが挙げられます。
自分の決断が間違っているような気がしたり、これまでめざしてきたことが本当にしたいことなのか、よくわからなくなったり、何をしてもうまくいかないんじゃないかという不安な気持ちと共に自信を失わせたりするかもしれません。
そのような気持ちの混乱から、現実を直視することがつらくなったり、やる気が失われたりする可能性もあります。
魚座や海王星はお酒や中毒とも関係するので、逃避傾向が高まると、飲みすぎる、やりすぎる、ハマリすぎるといった傾向を作り出すでしょう。そして問題の解決を限りなく遠ざけて、取り組むべき目の前の課題を見ないようにするかもしれません。
いずれのケースも、私たちが体験する可能性のあるものです。その日の気分によって、楽観的になったり、理解が訪れたり、混乱したり、逃避したり……ということが、入れ替わりやってくるかもしれません。
なので、それらのことが起きたときに「ああ、今はそういう時期なのかな」と、そこに入り込み過ぎないように距離をおいて見ることもおすすめです。
時に混乱から、どうすればわからなくなることも起こるかもしれませんが、そんなときこそ「明け渡して、どうなっていくのか、成り行きを見守ること」をやってみるといいかもしれません。
この時期に、さまざまな迷いや混乱と共に隠されたものがあぶり出されたあとで、木星が牡羊座に入ると、まったく新しい方向性と局面がひらかれることになるでしょう。そのために、いまここで不要なものを手放し、浄化しておくことが必要なときともいえそうです。
魚座の木星・海王星期を楽しんで、お過ごしください。